向井メンタルクリニック

メンタルヘルス徒然草

2011/3/8 火曜日

夫婦善哉

「この間の締め切り今日やったでしょ・・間にあった?」「あの振込み今日期限やったでしょ・・チャンとした?」。「世話焼き女房」型のよしこさん、これはお父さん、お兄さんに対する会話である。
放っておけないのである。口が、手が、先に出てしまう、本人が困らない間に先に片付けてしまう。世話を焼いてしまう。「困らぬ先のよしこさん」である。
お父さんもお兄さんも、彼女に頼りきっている。「お父ちゃん!もォ~~!またァァ~~」、「お兄ちゃん!!もォ~~またァァ~~」毎日のせりふである。兄からの電話「会社の近くに来たから、昼でも一緒に・・」彼女の オゴリである。
会社でも、ソウ、彼女は頼りになる人である、頼めば断らないというより、断れない「性質(タチ)」皆が知っている。自分でもわかっているが断れない。
父兄を見ていると、男って、こんなものだと思うと、異性関係も腰が引けてしまう。
 

「わかってるんですよね~~、でも、ついつい手が出てしまうんですよね~、いつかやめようと思ってるんですが、ついついね、わかるでしょ! 先生」なんとなくわかるよ、よしこさん。
 

ここで思い出すのが、織田作之助の「夫婦善哉」映画でも森繁久彌さんと淡島千景さんのすばらしい大阪弁の世界、昔の大阪弁の世界である。ダメ旦那を支える気丈な妻仲のよい夫婦のお話である。
よしこさんも、父兄でなく、「旦那」にすればよいのに、旦那なら納得づく、父兄は選べない。
 

数年前だったか、新聞に、未発表の織田作之助の「夫婦善哉」の後編が見つかったとのことである。
 

よしこさん、ご安心あれ!!
うるおぼえですが、確か、この後編では、ダメ旦那も戦争で焼け出され、頼るところがなくなったところ、一生懸命仕事を始めたという筋書き、ハッピーエンドであったとのことです。

お父さん、お兄さん「大器晩成」、チョッと遅いかな~~?遅いね、遅咲きやね?
 

 ご本人の了解をいただいたうえ、ご本人と同定できない程度に改変してあります。

 

2010/2/12 金曜日

「きっかけは楽しく喋りすぎ」:楽しく喋りすぎてPanic障害になった話

  昔から、大阪弁で「女3人よれば、かしましい」というが、この人、よし子さんCと話していると、大変楽しいが、たった1人で「かしましい」のである。とにかく早い、1分あたりの字数は800900文字くらいだろうか。とにかく息せき切って喋っては、楽しそうに笑う、そしてなかなか止まらない。ご本人によれば喋りたいことが「イッパい、イッパい」あって、すべてみんなに教えて、一緒に楽しんでほしいのだそうである。この人が3人いたらどんなことになるだろう。それに対して、私の喋り方は、普通400字詰め原稿用紙を約1分より遅いかもしれない。対照的である。足して2で割るくらいがよいか。

よし子さんCは、話をしていると、手足がしびれてきて、呼吸ができなくなるのではないか、胸がドキドキしてしまう、心配で、心配で仕方がないという。初めは定型的なPanic障害~過呼吸症候群だろうと考え少量のお薬を処方すると同時に、何か心配ごとでもあるのか、・・・・などいろいろとお話を伺っていた。多くの場合、背景に心配事があったりすることが多い。どうもこの人は違う。屈託がない、話も面白い、診察室が明るくなる。ただちょっと心配症。

そのうちにハッと気がついた、よし子さんCは喋りすぎて過呼吸を起こし、引き続いてその他の症状が出ているのではないか?

そこで、彼女にゆっくり会話をする練習をお願いした。あまりに早く喋りすぎて~喋りすぎて~喋りすぎて、過呼吸になっているのではないか?普通の人でも、急に走ったりして呼吸が荒くなると同様の過呼吸症状が出現する。

1)呼吸がはやく、浅くなると血液中のCO2分圧が下がるので、過呼吸症状群が生ずるといった理論を大昔学生のころに習ったのを思い出した。

2)昔、学会発表にため原稿を作るために教えられたのは、400字詰め原稿用紙を約1分で読むくらいの速さで話す、と教えられた。大昔のニュースをテレビなどで見ているとこのくらいの速さで話している。今の学会は皆忙しいから600文字くらいか。

この二つのことを、ゆっくり説明して数週間かけてその練習をしていただいた。なんとPanicが明らかに少なくなったとのこと、でも心配なので少量のお薬と通院は続けたいとのこと。

ブログに書く了解をお願いすると、「きっかけは楽しく喋りすぎ!」にしてほしいとのことであった。「楽しく」の一言「忘れたらあかんよ~」とのことです。屈託がないのである。

通院も「卒業」できるのにネ~と毎回診察の時に話をする。

ご本人の了解をいただいたうえ、ご本人と同定できない程度に改変してあります。

2008/4/21 月曜日

3.薬物療法について:その意義

Filed under: 2.治療について, 3.薬物療法について — mukai @ 13:02:26

  クロルプロマジンという向精神薬が、こころの病気の患者さんに、使われ始めたのが1950年代初めころからである。以後さまざまの身体的基礎仮説にもとづいて種々の「こころに作用する薬物」:抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬・・・いわゆる向精神薬が開発されてきた。最近では、薬物療法が一般的に主流になりつつあるきらいがあるのは否めない。1900年代も終わり、この間、約60年の歳月が流れ、効果、副作用などその効用が検証されつつある。
  確かに、過度の不安、興奮、幻覚、妄想・・・などのこころの症状に対して種々福音がもたらされてきた。しかし、人生の苦悩、不安・・・といったものを薬物で治めるといったことが、本当に患者さんの「人生にとって」意義のあることであったのであろうか?
  昔テレビコマーシャルで、たしか「ニッ!ニッ!ニーチェか!サルトルか!み~んな、悩んで大きくなった」というお酒のコマーシャルがあった。病的な苦悩、不安・・・その他の精神症状は薬物療法を行う必要があろう、ただ過剰な効用は本来人間が持つべき苦悩、不安、悩み、疑問・・・を持たなくさせる。「こころの病気」を患い、回復する過程、それを通じて人間は何かを得ることがあるのではないか?
  安易な薬物療法は、人生の意義に対して疑問を持たなくさせてしまう
こころの病気が始まるのが大まかに20歳前後である、人間の平均余命が最近では伸びて80歳前後、一方で向精神薬の臨床応用が始まり、約60年の歳月が流れた。昔の精神科医は向精神薬を「一生続けるようにと言った」と聞く、本当にそうなのか?その必要があるのか?さてまたあったのか?
こころの病気の患者さん、また心の病気でない人々を含めて、本来の「人間の意義ある人生」にとって、薬物療法が本当に意味をもたらしたかどうか?患者さんの本来あるべき「ひとつの生き方」「ひとつの実存形式」を変えてしまったのではないか?
「検証できる時期」が、またさらに言うならば「すべき時期」が訪れているのではないだろうか?

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