血統妄想

「けっとうもうそう」と読む。

古くからある精神科の病院に行くと、大抵一人か二人かの血統妄想の患者さんがおられる。ご自身が高貴なお血筋であったり、時には天皇陛下ご自身とおっしゃる方もしばしばいる。血統妄想の患者さんに気に入られると「あなたは気に入りました、家来にしてあげましょう」と言っていただけるのである。私は何人もの高貴な方の家来にしていただいた。診察も畏まりながら「ハハァ?お脈拝見」といって診察をさせていただく。

私がノイヘレン(新人)時代に読んだ本に、ドイツの有名な精神医学者であるクレペリンが書いた教科書があり、そのなかだったと記憶するが、血統妄想の患者さんの話があった。

古く、いつのころからか入院している、老齢の女性、自分はハプスブルグ家のお血筋であるという血統妄想で入院していた人の話である。身のこなし、言葉遣い、仕草はなんとなくそれらしい。結局この人は長期入院の後、病院で亡くなった。遺品の整理をしていたところ、ハプスブルグ家の方しか持っていないはずの紋章入りの品物が見つかったという話であった。妄想、妄想と簡単に結論してはいけないという戒めの話であったように記憶している。

ある時、医局で医員どうしの、先祖の話になった。私の先祖は海賊である。瀬戸内の海岸沿いおよび三重県の海岸沿いに「向井」という地名が点在し「向井さん」という姓の人たちが多い。さらに「向井水軍」という海賊がいたり、また「向井将監」という船手奉行などがいたりする。

こんなことを喋っていたら、ある先生の順番になり、この先生のご先祖は某御大名家の御血筋である事がわかった。やむごとなきお血筋なのである。

この話を聞いて、私は思わず

「エエッ、そしたら先生、この病院の院長は!」といったところ、

その先生

「そうです、アレは???? 家来です」と大真面目な顔でいうのである。

実は、この病院の院長先生、この某御大名家の御典医の御家系であったのである。

世が世なら、私などこのお二人のお側にも近寄れないほどの方々であった。

ハハァ?と、「この印籠が目に入らぬか!」の気分で、この私、平身低頭であった。この新しい先生ニヤニヤと笑う、シャレッ気の多い人であった。しばらく机を並べたが、このようなお血筋にしては少々違和感のあるパンチパーマの人だが、確かに物腰、所作、何となく、育ちの良さ、品格、御血筋を感じさせる人であった。

こんな事を病棟でいうとすぐさま薬が増やされたであろう。

精神科臨床も面白いが、現実はもっと? ディープでコユ?イ(濃い)のである。